[CAFÉ BLEU STYLE ARCHIVES] 2003年に書いた記事です
某掲示板に、
『サザンってモーニング娘。と同じ仲間でしょ。
エロビデオみたいなもんで、気持ち良くなるためだけのもの。
中身はからっぽ。
そう音楽を聴きたい連中がいっぱいいるってこと。(以下略)』
という書き込みがあって。
これはアンチ・サザンの人の意見なんだけど、じゃあ、この人はどういう目的で音楽を聴いてるんだろう。
音楽って、気持ち良くなるために聴くものなんじゃないの?
僕は、サザンやモーニング娘。に限らず、とにかく自分が気持ち良くなれるものを探して聴いている。
音楽って、そういう目的で聴くものだと思ってたんだけど、この人は違うみたいだ。
いったいどんな目的で、どんな音楽を聴いてるんだろう...。
気持ち良くなるため「だけ」なのがいけない、って事か?
気持ち良くなる以外の何かがないとダメ、って事なのかなあ。
中身はからっぽ...ふむふむ。
じゃあ、中身がある、って何だろう?
深いテーマ、何重もの意味が込められた歌詞?難しいコード進行?誰も思いつけないメロディ?完璧な演奏?...うーん、もちろんそれらも大切な要素の一つではあるだろうけど、結局、それが「気持ち良い」と感じられなかったら意味がない。
その曲がいいと思える理由を説明できてもできなくても、とにかく気持ちいいかどうかが大切。
一部の人にとっては、理屈を語れる部分がないとダメなのかもしれないけどさ。でも、そうなっちゃったら「音学」だよね。なんだか。
僕は「音楽」がいいなあ。音楽は感じるものだと思ってるから。気持ち良くなれる「だけ」で充分。
それに、「気持ち良くなるためだけのもの」=「中身がからっぽ」なのか?
本当に中身がからっぽだったら、気持ち良くなんてなれないと思うぞ。
そもそも、サザンの掲示板って、アンチからの「桑田はパクリだ」という主旨の書き込みで埋め尽くされる事が多いんだけど...。
この【パクリ】についてもそうだ。
「どういう事をパクリと言うか」という「定義」はひとまず置いといて。
パクリでもなんでもいいから、その曲が気持ち良ければいいんだよね、僕にとっては。
もちろん、サザンに限らず、ね。
いくら元ネタがあったとしても、同じようなサウンドだとしても、似たようなメロディだとしても、同じコード進行だったとしても。
結局、気持ち良いかどうかだよ。
気持ち良い、って事は、きっとそこに何か魅力があるからだと思うんだ。
だいたい、僕の場合は、好きになった曲に元ネタがある、と知ったら、その元ネタの曲も探して聴く。そしてその元ネタも好きになれたら「ありがとう」という気持ちになる。
あるいはその逆で、好きな曲を元ネタにして、新しくできた曲がある、と知った場合もそう。いわゆるその「パクった曲」を後から聴いても、気持ち良くなれればOK、非常に嬉しい。
一粒で二度美味しいというか、そうやって、気持ち良かったものがつながっていって、新たな魅力を持った気持ち良さと出会えるのも、音楽を聴いて良かったと思える瞬間。
その掲示板には『音楽は衝撃的でなければならないと思う。常に新鮮で鳥肌が立つ(ゾクゾクとする)ものを求めよう。』なんていう書き込みもあったけれど、僕は必ずしもそうじゃないなあ。
新鮮なものよりも、むしろ以前どこかで感じた事のある心地良さを求める場合の方が多い気がする。
それでも、そういったものに出会れば、ちゃんとゾクゾクできるよ。
「ああ、これこれ。この感じ!」って。
「似て非なる気持ち良さ」に出会う瞬間って、幸せを感じる。新鮮味はなくたって、充分衝撃的。
新鮮なものに出会った時の衝撃は、「求めようともしてなかったもの(今まで知らなかったもの)に偶然出会った事による衝撃」だよね。
でも、「求めてたもの(気持ち良いと知ってるもの)に出会えた事の衝撃」の方がある意味すごいというか...まあ、まったく別物の衝撃って事だね。
だから、新鮮なものじゃないとゾクゾクできない、っていう人は可哀相だなあ...。
でも、ただ似てるだけでは気持ち良くなれないと思う。何か別の魅力があるからこそ気持ち良くなれるんだろう。
「パクリは悪で、そんな事をする奴は才能がない」という感じで書かれる・叩かれる事が多いけど、
パクリは必ずしも悪ではないと思う。むしろ「パクリだからいいんだ」と思える曲だってたくさんある。
いい曲をパクれば、誰もが売れるか、素晴らしい曲を作れるかと言ったら、そんな事は絶対にない。
いくらいい曲・売れた曲と同じようなサウンドを作っても、似たようなメロディを作っても、コード進行同じにしても、それがいい曲になるとは限らない。当たり前。
カヴァー曲を考えてみればもっとわかる。
売れた曲をカヴァーすればそこそこ売れるか?と言ったら、やはりそんな事はないわけで。
むしろ、逆のパターンだってある。
オリジナルが全然売れなくて、カヴァー・ヴァージョンの方がものすごく売れた、というケースはいくらだってある。
少なくとも僕の場合、大好きになった曲があって、その元ネタ(カヴァー曲ならオリジナル)を聴いてみたら、全然いいと思えなかった...というケースはたくさんあった。
つまり、オリジナルこそが偉い、一番だ、というわけではない、と。
人には好き嫌いがある訳だから、どんなに素晴らしいと言われてる曲でも、どんなに売れている曲でも、「キライ」「全然魅力がわからない」という人はいて当然。
それが当たり前だと思う。
好みが違うんだ。気持ち良いと思う範囲は人それぞれなんだ。
だから、キライならキライでもいいのに、わざわざファンの集まってる所にアンチの意見を書く、しかもそれが「キライ」ではなく「パクリだ」「最低だ」「レベル低い」という言葉を使って、というのはどういう意味があるんだろう?
自分が好きと思える音楽を聴いてればそれでいいじゃん、と思うんだけどね。
でも、そういう人が多いってのは、やっぱりその曲なりアーティストなりが売れてるから、でしょう?
「あんなのはパクリだ」の次には「なのにあんなに売れやがって」という妬みの言葉が続くんだと思う。
もしくは、「パクリだとも知らないで聴いて喜んでるバカが大勢いる。」という様な、蔑みの思い。
どちらも売れているからこそ。
いくらパクっても、それが全然売れてない曲・アーティストであれば、パクリを言及する意見がたくさん集まるはずはないものね。
まあ、自分が理解できないものが受け入れられてる(売れてる)事に対する反発だね。
だから注目されているが故の事で、仕方ない事なのかもしれないけど。
でも、売れている曲に何か元ネタがあったとしても、売れている・多くの人に受け入れられてる、という事は、やっぱりそこには「元ネタとは別の魅力がある」という事。
オリジナルを知らない人たちだけが買って喜んでるわけではない。
それを、「あんなのはパクリだから最低だ」で済ませてしまっている人は、実は、「魅力の違い」を聴き分けられてないだけ、なのかもしれないよね。
結局、「キライ」なのは自分の好みに合わないからであって、その理由にパクリかどうかは関係ないんじゃないかと思うよ。
僕は気持ち良くなるために音楽を聴いている。
洋楽だろうと邦楽だろうと、オリジナルだろうとパクリだろうと。
そこに魅力があれば気持ち良くなれる。
それが自分に合った魅力であれば、確実に。
とにかく、気持ち良くなれるか。
そんな曲を探して聴いている。
(2003.7.31)
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この姿勢も変わってませんね。
周りの評価とか関係なく、自分が気持ち良いと思える音楽を探してます。
ま、なにか新しいものはないかなと思って、周りの評価が高いものに注目してみる事はありますが、それを聴いて気持ち良くなければ、聴き続ける事はありません。
評価が高いからといって、我慢して聴き続けるような事はありませんね。
前の記事とちょっと矛盾してるかもしれませんが、聴くタイミングというのも重要で、その時の気持ちが大切なんです。
何度か聴いているうちに、良いと思えるようになってきたという事も実際にはあるのですが、それも、もしかしたらという可能性を感じた時にだけ聴き続ける事ができるのであって、ちっとも良いと思えないものを我慢して聴き続けるような修行のような事はしたくありません。他に聴きたい音楽はたくさんありますからね。時間がもったいない。
とにかく、世の中には僕に合った気持ちの良い音楽はまだまだたくさんあるはず、と思って、音楽を探して、聴いています。
評論家などは「気持ち良ければいい」なんて言ってすませてはマズイのかもしれませんが、一般人の感想としては、それだけでいいような気がします。
いろいろ深読みしようと思ってしまうと、楽しくないかも、ですね。
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